1. 韓国の名無しさん
  2. 日本の零戦戦闘機についてのいくつかの事実

    ソースは開発者、堀越二郎の手記だ

    (1)海軍は次期艦上戦闘機(零戦)の要求性能をかなり高く設定した。速力、航続距離、火力、機動性全て優れていなくてはならない

    (2)文が長くなるために説明は省略するが、早いスピードとしなやかな機動性、そして高火力(=重さが思い)と長い航続距離は全て共存できない
    お互い相互作用して性能を落とすためだ。
    よって二郎は構造強度や防御能力を犠牲にしてタイトに重量削減をするしかないと結論付けている

    (3)初期エンジン選択の際にも悩みがあった。候補として1070馬力級の金星と875馬力の瑞星があったが、零戦の要求性能を考えるのならば当然金星を選択しなければならなかった
    しかし艦載機として過度に拡大する懸念があり、最終的に小さな戦闘機を好む保守的なパイロットが受け入れないよう、結局瑞星を選択する

    (4)要求性能が過剰に高いと思った堀越二郎は海軍関係者たちに一つでも基準を引き下げることを要請したが断られた
    それだけ日本の軍部は停滞し非常識だった。

    (5)ある日、二郎の部下が補助翼操縦系統の支え台を設計して持ってきたが、銅溶接式をアルミニウム合金販売差し止め式に変えれば75gの重量を減らすことができる
    75gは機体全体重量で3万分の1もならない微量だったが、最大限軽くするためにはたった10万分の1すら簡単に許諾することができなかったという

    6)次期艦載機は堀越二郎がいる三菱だけでなく中島という会社もライバルとして作っていたが、要求性能を合わせることができないと判断、途中放棄することになる

    (7)零戦の実物模型を操縦士に公開したことがあるが、みんなの最初の反応がかなり大きかった
    その話を聞いた二郎は金星エンジンを選択しなかったことを幸いだと思ったという

    (8)初零戦試作機の重量は1.6トン程度で、当時小さくて軽い設計で有名だったBf 109戦闘機より約19%も軽かった

    (9)試製機のテストのための飛行場がかなり遠かったせいで、三菱の職員たちは零戦を分解し牛車に乗せて丸一日中移動した

    (10)初期飛行当時、振動問題が深刻でエンジンとプロペラに問題があると思った二郎は従来の2枚プロペラを3枚に変えすぐに解決した

    (11)零戦3号機からは瑞星エンジンの代わりに栄エンジンがついた
    これは既存エンジンと重量差がほとんどないにもかかわらず70馬力ほど強く、改良されてからは零戦の心臓として使われた

    (12)零戦は高速時や低速時の操縦性の差がちょっと深刻だったが、これは操縦ケーブルに弾性を与え(=剛性を低下させて)解決した
    二郎はこの仕事を最も満足していた

    (13)この剛性低下式操縦系統について当時のテストパイロットはあまり好ましく思わず
    試験当日も二郎が仕事が忙しくて来れないことに不安になり、怒って彼を呼んで来いと言った
    二郎はその言葉を聞いて笑いながら急いで仕事を処理し、結局テストに立ち会ったらしい

    (14)零戦は登場当時機密だったため、マスコミでは”海鷲”と表現したという

    (15)初期零戦は航空母艦に使われる戦闘機であったのに翼をたためなかった
    しかしすぐたためるように改良されたのだが、翼端たった50cm程度をたためるだけだった

    (16)戦闘機の性能・コンテストで日本の陸軍と海軍が対決したが、零戦が陸軍機よりも優秀な成績を収めたことがあった
    当時、両軍の仲は非常に悪かったので海軍がかなり得意気にしていたらしい

    (17)零戦の翼が弱く、ちょっとでも激しい飛行を継続すれば外板にしわができる傾向があった
    これによって耐久性を低下させるので、操縦士たちは気をつけて操縦するしかなかった

    (18)零戦は試験飛行の間計3度空中分解し、このうち二度は耐久性が弱くて起きた出来事だ

    (19)太平洋戦争当時、零戦が8000mを飛行するB-17を撃墜したことがあったが欧州戦線をひっくるめた世界初のB-17撃墜という。

    (20)初、中期零戦は自動的に穴を塞ぐ燃料タンクもなく、主要部位を保護する防弾版もなかったが、
    これは高い馬力のエンジンがなかったせいでもあるが、操縦士らの間で実力を磨き、砲弾に合わず、
    敵を殺せばいいという一騎当千の剣法のような考え方が支配的だったことが大きかった。

    (21)オーストラリアの収容所のキャンプに三菱の職員たちが抑留されていたが、
    将校たちが「あなたたちがその強力なゼロファイターを作った三菱の社員らだ。」と、悪くない待遇をしてくれたと言われている。しかし、この職員らは事実三菱重工業ではなく商社マンだった。

    (22)戦争中、零戦に関する様々な改良、改造要請が入って来ると二郎は
    「戦闘機はよほど酷使されているね。」と考えたという

    (23)零戦は改良されればされるほど、優先していた機動性は落ちて速度は増える傾向があったが、
    これはアメリカの新鋭戦闘機が速すぎて、仕方のない選択だった。

    (24)零戦の最終型は約1100馬力級の栄エンジンを付けていた。一方、アメリカの戦闘機は2000馬力級だった

    (25)最終改良型要求事項には防弾対策もあったが、二郎はこれを見て少し驚いたという。

    (26)イギリスホーカー社設計者フォーサードは
    「ヨーロッパ人は日本人が模倣だけに注力していると思うのだが、
    日本の代表的な飛行機である零戦の詳細な情報を知っていたら、
    その考えが誤りであることを悟るようになるだろう。」と言及した。

    引用元:「https://goo.gl/Nuwvtx」

  3. 韓国の名無しさん
  4. しかしコルセアが出動したらどうなるだろうか?

  5. 韓国の名無しさん
  6. あのときでも日本は自力で戦闘機を作っていたのに
    現代でもなんで作ることできないんだ?

  7. 韓国の名無しさん
  8. ↑今は作れるよ
    輸送機や旅客機を作ってるから…

  9. 韓国の名無しさん
  10. 零戦は機動性のために耐久性は放棄した
    戦闘機じゃない

  11. 韓国の名無しさん
  12. ↑機動性だけでなく、複合的な理由で…

  13. 韓国の名無しさん
  14. 紙飛行機零戦w

  15. 韓国の名無しさん
  16. 日本にそんな技術があったのか?
    そのとき韓国は…
    まさか~~~

  17. 韓国の名無しさん
  18. 第二次世界大戦合わせてコルセオが一番性能がよかった

  19. 韓国の名無しさん
  20. 神風特攻精神

  21. 韓国の名無しさん
  22. イルポン野郎がここまで零戦を褒め称える理由ってなんなんだ?
    米帝傀儡を攻撃した飛行機だからか?

  23. 韓国の名無しさん
  24. ↑自称東洋の神秘、太平洋戦争初期の姿などなど…

  25. 韓国の名無しさん
  26. ↑東洋であの程度の飛行機を作れたのが日本しかなかったから

  27. 韓国の名無しさん
  28. 東洋では日本人が最初に飛行機を作ったんだな

  29. 韓国の名無しさん
  30. 日本が敗亡するまでヨーロッパ、アメリカの技術を模倣しただけだと思っていたが
    トヨタ紡績機は1930年代にすでに世界最高水準の技術を誇っていた
    産業革命の本場イギリスからも紡績機の技術力を学びにやってきていたくらいだ

  31. 韓国の名無しさん
  32. あれでチャンケをとっちめたからそれでいいんだよ

  33. 韓国の名無しさん
  34. 日本の零戦を褒めるのは=韓国の神機箭や火砲を褒めてるのと同じだと思えばいいか?

  35. 韓国の名無しさん
  36. 韓国はそのとき何をしていたんだ…?

  37. 韓国の名無しさん
  38. あの当時、朝鮮は自転車のギアも生産できなかったのはトゥルー?

  39. 韓国の名無しさん
  40. 戦争は設計者に対するひとつの祝福だ

  41. 韓国の名無しさん
  42. 零戦の英雄には
    坂井三郎、岩本徹三がいる

  43. 韓国の名無しさん
  44. あのとき、朝鮮は紙飛行機なんかを作っていた時代だぞ…

  45. 韓国の名無しさん
  46. ↑おい、伝統韓紙を馬鹿にするのか?

  47. 韓国の名無しさん
  48. 独立軍はあの時代、馬賊団のレベルTT

  49. 韓国の名無しさん
  50. やっぱり日本だな
    空の侍零戦戦闘機

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